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下記考察は木下良一館長が平成29年に執筆された合気道についての考察です。

技の概念などは現在とは異なりますが吹泉館の目指す合気道について参考になるかと掲示しています。

​合気道の考察

はじめに そのはじめに

合気道の稽古を重ねるとき、上達するには何を目標にしますか?

師範の技を真似してできるようになること。

これは誰もが抱く目標だと思われます。

ですが、形を真似るだけでは思うようには上達しないことがあります。

そんなときには合気道とは何を目指している武道なのか考えてみてはいかがでしょうか。

開祖、植芝盛平翁が目指して実践されていたこと。

私たちが稽古しているのは師範の技をできるようになることだけではなく、

開祖が目指していたことを目指しているはずです。

いまは書籍だけでなく翁先生の技がインターネット上に動画としてたくさんあります。

そうした情報を見ても残念ながら凄すぎて真似できない技のように映るかもしれません。

ですが、合気道が目指すのは翁先生にしかできない摩訶不思議な技ではないはずです。

このページでご紹介する『合気道の考察』は合気道の技が目指している本筋、そして

その本筋と技の形とのつながりについて触れています。

技の形は師範によって違います。

どの形が正しいというのではありませんし、それぞれの段階に見合った稽古方法があります。

合気道の技が目指している本筋に沿うかぎり、技の形というのはその本筋を体現するための手段でしかありません。

別の言い方をすればどんな形でも構わないということになります。

人によって合気道を続ける理由は様々でしょう。

どうせ合気道をはじめたのでしたら、そうした本筋を知識として知っていても損しないのではないでしょうか。

また、この考察が技について考えるきっかけとなれば幸いです。

前置きが長くなりました。

​それでは、吹泉館 館長 木下良一師範の『合気道の考察』をお楽しみください。

(印刷したり、ゆっくりとお読みになるには右のボタンを押してpdfファイルをダウンロードしてください。

​ なお、編集の都合で使用されている写真が若干異なる場合があります。あらかじめご了承ください。)

第一部  合気道の考え方
第一部 合気道の考え方

はじめに 

人は自分の答えを自分の中で見出してしまいます。

自分の知識の中からしか答えを出そうとしません。

 

例えば合気道の稽古に於いてもそうです。相手が崩れないからと言って自分流で相手を崩そうとします。

また上手く崩れた時はそれが答えだと思ってしまいます。

 

さて、それはどうでしょうか。

合気道の技は全くもって力が要らないと言っても良いでしょう。相手を強く投げる必要すらありません。

関節や筋肉の動きもその一つです。きめる必要はないのです。関節や筋肉の動きが分かれば相手は動けません。 

技が掛からないのは、全てが自己責任であり、理解度が足らないだけなのです。

 

この考察では合気道の理解を深めるきっかけとなるような考え方をご紹介したいと思います。

第一部は一緒に稽古する相手がいるときに合気道とはどのような技なのか概説します。

第二部は一教から四教までの固め技、

第三部は投げ技とつづき最後はそれらの集大成ともいえる入り身に焦点を当てていきます。

 

自分自身で技を極(きわ)める場合、勉強方法にコツがあります。

その方法とは、合気道の技を全肯定するか全否定するかどちらかです。

合気道の技を信じて全てを肯定して出来るまで努力をする。

この場合、気をつけなければならないのが、自分自身の中で答えを出してしまうことです。 

次には、全否定です。全てを否定して稽古します。最後は否定しきれずに答えは同じになるでしょう。 

どちらにしても、答えを導き出す時に自分自身の知識の中だけでしか答えを導き出そうとしません。

人間の知識なんてものはたかが知れています。教科書や学会の答えが最高峰で、それ以外は非科学的と呼ばれてしまいます。三次元で考えられていることを四次元で体感すれば何ら難しいことはありません。世間では、四次元空間はなかなか認められてはいません。

 

しかし、脳は自由であることを忘れてはいけません。

妄想は現実を超えることが多々あります。人間の力を信じて、答えを導き出して下さい。 

 



構え 

片手、諸手、両手取りに於ける構えは全て違います。合気道の構えは全て同じではありません。

当然、正面打ち、横面打ち、突きと、それぞれ違うのです。 

諸手取りの構えは両手で太刀を取った構えと良く似ております。同様に片手取りの構えは小太刀の構えに似ています。

二つの構えを比較しても分かりますように手の位置と自分との距離が違います。

小太刀の構えは遠く、太刀の構えは近くになります。足の位置も微妙に変わることも想像がつくことでしょう。

半身の構えは自然体の構えから動いた状態であり、動きの中の一瞬です。 

構え

足の運びも私たちが日頃歩いている足運び(運足)とは違います。
右足を一歩前に出そうとした時、普段なら人は左足に重心を移して、蹴り出すように右足を前に出します。
しかし武道の足運び(運足)はそうではありません。腰を落とし、左脚だけを曲げます。

すると右脚は左脚に対して余ります。その分を前に出すのです。それが一歩です。

自然に腰の高さは変わることがありません。それは目の高さが変わらないため、距離感が変わらないという副産物が付いてきます。次に左足を前に出そうとする時は、右足に左足を当て、余った左脚を前に出します。腰の動きは六方(ろっぽう)と言われる動きになります。 
基本の構えは自然体であり、動きの中に半身の構えは存在します。 
よく剣の動きに合わせて下さいと言われますが、本当の剣の動きが分からないのに剣の動きには合わせられません。剣の振りかぶりに於いても剣を持った状態で、両手を制せられた時(相手に両手首を掴まれた状態)に、剣は振りかぶれますか。剣の振りかぶり方ひとつとっても技なのです。そうは簡単には出来ません。一つひとつ基本を大切にして稽古しなければならないのです。 
構えは構えあって構えなし、自然体であることが大切です。 

体の転換 


体の転換は基本、基礎であり、極意です。 

体の転換を行う場合、最初の手の出し方に注意を払わなければなりません。 

手は相手に対して真っ直ぐ出ているか、足は相手に向いているか、

相手に手首を掴まれるのではなく、相手に手首を掴ませるように手を出すことが大切になります。

しかも相手が一番掴みやすいように手を出します。

相手はそれだけで力を使い果たし攻撃する力が働きません。

呼吸は構えと同様に動きの中の一瞬ですから、息は止まった状態になります。

相手はその状態だけで力が入らなくなります。掴まれた手を下に落とせば、相手は下に落ちます。

体の転換はその状態を作り、転換するのですが、手首を相手に掴ませたままにします。

相手との相対関係は変えてはいけません。

体の転換は相手が取りにきた方向に対して 180度転換するように稽古しましょう。

180度転換するのが大切なのではなく180度転換出来ることが大切なのです。

体の転換

螺旋運動は大切です。しかし無理に螺旋に巻き込むことは良くありません。
自然に手首の動きが螺旋となり相手が巻き込まれていくように働きます。
相手が崩れないからと言って自分が先に入ったり、螺旋に動いたりすることは良くありません。
確かに技は掛かるのですが、それは 100 %(真の合気道)ではないのです。
相手の力を如何に無力化するかが(合気道を極めるための)課題となります。 
呼吸法も急激に息を吐き、呼吸を止めると相手は硬直して動きを失います。
この段階でも十分に合気が掛かり、相手は何も出来ません。一般的には極意と呼ばれているような技です。 
これは、何も出来ないのであって、相手は硬直している状態です。相手を無力化することの方が重要です。
合気は、こちらの状態と相手の状態が同じです。
無抵抗主義に徹することが相手を無抵抗、無力化の状態にさせるのです。
体の転換の最後の形は物を頂戴した状態の残心です。敬意を込めた残心です。
体の転換は、合気道の全ての要素が、この中に存在していると言われています。 
稽古としては、次の手を出す時にも注意が必要です。
どうしても先に気を流したくなりますので、自分中心で動いてしまいます。
始めの手を出す時同様、相手に真っ直ぐ、相手が一番掴みやすいように、息を止め、自然体で動かなければなりません。
相手と一つになる合気が大切なのです。
連続して稽古する場合も同じことです。一瞬は相手を制する形になっています。
基本は、硬い稽古も流れるような柔らかい稽古も同じことです。 
運足一つとっても、しっかり意識をして無意識になるまで稽古します。
無意識になれば、また意識をして一つひとつ稽古することが大切です。
稽古は、その繰り返しです。 

諸手取り呼吸投げ(呼吸法)

 

相手に片手を諸手で掴まれた場合の稽古です。 

ここでも人は相手を崩そうとします。

初心者であれば、関節の動き、筋肉の動きを考える上で相手を崩すことは、必要な稽古だと思います。 
諸手で掴まれると言うことは、相手に制せられた形です。 

合気道は、攻撃でも防御でもありません。

相対的な関係のもと、相手が攻撃をしてきた時は、こちらが相手を攻撃しているのと同じ形になります。

合気に於ける力は一瞬で貰って返されます。 

つまり諸手で制せられた時には、相手が制せられた状態になるのです。 

あとは螺旋と気の流れに従い、呼吸投げと言う形をとります。 

常に相手の手の中の状態(感覚)を変えない、相手の手とこちらの手首との関係は崩さないことが工夫の一つです。 

絶対的に相手を制するのではなく、相対的な関係を崩さないように動けば、相手は地球の重力の働きと相反するため、そのまま崩れると言う結果になります。 

重複しますが持たれている手首と掴んでいる諸手との関係は崩してはなりません。

相手との関係も同様です。 
地球から見た動きは、重力の働きと反するため、相手からすれば投げられていると感じます。

この場合、相手の手首が地球となり、相手と地球との関係は変わらないのです。

それが宇宙との関係となるまで修行は続けなければなりません。

諸手取り呼吸投げ

正面打ち第一教表技 


相手はこちらに対して正面を打ってきます。 

正面打ちとは自分の頭の先から手刀が始まり、一刀両断する形です。

打ち込む一点の力を返した時に相手の身体はどうなるでしょう。

打ち続ける力は打ち下ろすまで止まらないとします。頭の先から手刀は離れまっすぐ切るように動いています。

その途中で手刀の一点を止めてしまえば、相手の身体はのけ反り地面に近づいていきます。

その動きに合わせて相手の腕を円に落とせば一教の表技になります。 

相手を崩してはいるのではなく、相手は正面を打ち続けているだけなのです。 

それは、打つという行為が地球との関係を崩しているのであって、相手との関係は変わらないのです。 

つまり宇宙と一つになることにより、相手は攻撃すると自らバランスを崩してしまうのです。

正面打ち一教表技
第二部  固め技
第二部 固め技

固め技と呼ばれる技にはよく稽古される技として第一教から第四教があります。

また、「一(はじめ)に教える」技を習得したら「二番めに教える」技という名が付いているようにそれぞれの技が独立しているわけではありません。稽古に際して第一部でふれた相手を無力化することを念頭に第一教から順番に稽古してみてください。

 



正面打ち第一教表技裏技 


打たれる瞬間に息を吸う意識をします。息は止まっているのですが、息を吸うような呼吸法です。

呼吸の意識が働いています。
相手は合気され息を吸ってしまいます。そのまま前に入れば自然と一教表技となります。 

裏技は息を吸う感覚で側面に導けば自然に一教の裏技となります。 

相手に息を吸わされるのではなく、相手に息を吸わせるように呼吸(呼吸の感覚)をします。 
一教の呼吸法は他にもあります。息を吐かせることでエアポケット(空白の空間、真空の空間、ブラックホール)のような感覚が芽生え、相手がエアポケットに吸い込まれる感覚に陥ります。相手の力は抜けているので、力を返してやれば、一教は成り立ちます。この場合でも相手をどのように無力化するかが課題となります。

一教は位置関係を変えても成り立ちます。自分と相手を点と点で結ぶと相手の弱点が見えてきます。 

人間の筋肉や関節、骨の位置を頭に入れていると相手を倒すことだけであれば、比較的簡単です。 

合気道の稽古としては、相手を如何に無力化するかが課題であり、それが難しいと言う一面もあります。 

相手の腕を抑える際、倒れ方によって相手の肩の角度が変わります。

どの場合でも同じことですが、相手の肩の力を抜いてやることが大切です。

人間の筋肉は収縮してはじめて力が入ります。肩関節の動きを見て、関節の力を抜いてやると相手は力が入らなくなります。要は肩関節を地面に着けるように肩関節を回転させれば、肩の付け根の筋肉が収縮できない状態になり、力が入らなくなります。 

一教

二教(第二教) 


第一教で相手を制した状態から二教(第二教)に入るのですが、ここでは二教の力の抜き方を考えていくことにしましょう。
 
二教といえば痛い技というイメージがあると思います。はたしてそれが本当の二教の姿でしょうか。

痛いだけで相手を制するという理屈はもし痛くなければ制せないことになります。

また相手が自分の腕を折ってしまったら技は効かないことになります。こ

こも、如何に相手の力を抜いて相手を無力化するかが大切となります。 

稽古に於ける要点は、相手の肘です。相手の肘の方向に力を返してやると、相手の肩の力が抜けて相手を制することが出来ます。方法としては、一旦相手の肘の方向に力を返して、こちらに戻すように制していきます。

実際に手首を極め(きめ)なくても相手を制することが出来ます。 

相手をうつ伏せに制する時は一教同様、相手の肩の力を抜いてやることが大切です。

相手の肩を螺旋に回し、相手の肩が地面に着くようにします。そのまま腕を螺旋に極めると相手は動けなくなります。

一教同様、相手は力が入らないので動くことが出来ません。 

二教

三教(第三教) 


三教(第三教)も二教同様に考えます。
一教は腕抑え、二教は小手回し、三教は小手捻り、四教は手首抑えと言われています。 

では、どのように小手を捻るのでしょうか。 

三教の動きは、とても一教に似ています。一教の反対側に立つような動きです。 

これも痛みで相手を制しているようでは技が出来ているとは言えません。 

腕を回転させて、如何に相手の肩の関節の力を抜くかがポイントとなります。

気の方向は相手の薬指が重要です。技の動きが分かれば、相手の薬指だけで相手を制することが出来ます。 

うつ伏せにして相手を制する時も同じことです。三教を極めたまま、相手の肩関節を回転させ螺旋に制すれば相手は力が入らなくなり無抵抗になります。 

三教

四教(第四教) 


相手を極める手ですが、一般的には人差し指の付け根と言われています。

実際には人差し指の付け根の側面にある突起を使い、相手の脈部や橈骨神経部を極めます。

自然と螺旋に入り、効果はとても高いです。 

この技も相手に痛みがなければ制せられないような技であってはなりません。
三教の捻りと相手の肩及び肘の力の抜き方に秘密があります。

相手の力を抜く、つまり力が入らない状態を作れば相手を制することが出来ます。 

四教
第三部  投げ技
第三部 投げ技

正面打ち入り身投げ 

まずは、相半身での足運び(足捌き)を考察します。

相手が右手で正面を打ってきた時、こちらの左足の使い方を教えます。

ほとんどの場合、左足は相手の奥深くまで踏み込む形になります。その際、右足と左足を入れ替えるような足捌きにしてみて下さい。そして右足は後ろに円を描くように開きます。自分の右手は相手の右手の側面を添わす程度で、相手にしっかり正面を打たすことが大切です。そのまま自分の右手を上に挙げれば入り身投げは出来ます。右足は相手の後ろに踏み込むようにして下さい。 

円を描いて捌く場合は相手の後ろに入った時に円運動に回れば自然と入り身投げになります。 

相手に正面を打たれるのではなく、相手に正面を打たせるように導きます。

足を大きく踏み込むのではなく、相手にこちらに来ていただくような捌きが大切です。

相対的に見れば同じなのですが、どうしても相手は動かないもののような捌きになりがちです。

重複しますが、相手にしっかりと正面を打たせること、相手が満足して正面を打てるように導きます。

呼吸法はエアポケットを作るようにすれば比較的稽古はやり易いと思います。 

呼吸法は打たせる前であれば相手に息を吸わせるように、打ち込ませる時には相手に息を吐かせるように、

様々な方法があります。

息が止まっている無の状態の中、相手がその無の状態を破ろうとします。

その瞬間に相手の攻撃が反作用のように終わります。 

自分と相手との関係は相対的には何も変わらないのです。

相手が攻撃するということは、相手が攻撃され崩れていることになります。 

正面打ち入り身投げ

片手取り四方投げ 

逆半身で相手に片手を取られた場合の四方投げです。 

第一部で構えについて述べましたが、片手を取られた状態で相手と合わした時、どちらかが、その均衡を破った時、隙が出来ます。ですから安易にお互い攻撃をすることが出来ません。 

相手が右手で、こちらの左手首を掴んだ場合、こちらの右手で相手を攻撃しようとすると相手はこちらの左手首を引っ張りこちらの体勢を崩そうとします。

相手が引っ張ろうとするその気に合わせて相手の手首を取ります。

半身の構えだと丁度ヘソの前で相手の手首を掴むことになります。

そうすれば均衡は破れ相手は何も出来なくなります。自然と円を描くように回れば四方投げは出来ます。

特別、相手を崩したり捻じったりする必要はありません。

あえて相手を崩すのであれば相手の尺骨の手首側の付け根に自分の人差し指の付け根を充ててみて下さい。

相手全体が崩れるのが分かります。 

裏技の場合、体の転換同様の足捌きです。手首は親指を下に向けるように螺旋に動きます。

相手の手首が見えましたら掴んで転換すれば裏技になります。 

片手取り四方投げ

突き小手返し 


相手がお腹を突いてきますので、突き易いようにします。一瞬、力を抜くと、相手はそこしか突けなくなります。

エアポケットがそこに出来ます。あとは、そのエアポケットに導くように相手の手首を制すれば相手の力が入らなくなります。相手の手の薬指の気の動きを制すると相手が動けなくなります。

小手返しは相手の手首を捻る技と思われがちですが、気の流れを円にして、その円の動きを小さくしてやることによりエネルギーは相手に返ります。 

突き小手返し

両手取り天地投げ 


両手首を掴まれた時に合気挙げや合気下げと言われる稽古があります。

一つの手は合気挙げ、一つの手は合気下げを行えば天地投げになります。 

天地投げは天地であり、斜めに崩す技ではありません。

初心者に於いてケガをしないよう斜めに崩し両手を天と地に分け相手を投げます。

真っ直ぐ上と下、天と地に分けられた時、まるで空間が滑ったのではないかと言う感覚になります。

初心者では受け身が難しいでしょう。 

初心者向けの稽古としては下に下げようとすると相手は上に挙がろうとしますので、反対側の手を挙げます。

手を挙げられると下げようとしますので、反対側の手を下げます。その繰り返しをしてみて下さい。

自然と天地投げの意味が分かってくるでしょう。

両手取り天地投げ
第四部  入り身
第四部 入り身

入り身はブラックホールのようなものです。 

動いた時には相手との均衡が崩れていますので、相手は崩れています。 

相手と点と点で結んだ時、全てが入り身の状態にすることが出来ます。 

相手と均衡が保たれている時、ほんの少しの呼吸の動きが入り身になります。

何も入り身は平面だけでなく、空間の入り身もあります。 

入り身は相手の側面に入る形です。ですが、相手からするとその場所に相手がいる形になります。

その場所にいることが入り身になるのです。

受けの立場で入り身を考えますと、取りが入り身の位置に立たれた時点で動けなくなります。

動こうとすると隙が現れます。

最善の受け身が動かないことになってしまいます。

如何に相手を無力化することが大切であり、無抵抗の状態を導き出すかが課題となります。

入り身とは、相手を無抵抗無力化することに適した技です。

相対的に見れば、相手からも、こちらからも、入り身の状態になっています。

合気ですので、相手を無抵抗無力化するには、こちらも無抵抗主義に徹せなければなりません。

こちらが無抵抗の時にこそ、相手が無抵抗になります。その無抵抗は、大なる抵抗主義なのかも知れません。

その結論は自ら探ってみて下さい。
 

あとがき
あとがき

動けば技になる。正にその通りです。 

合気道の技、そのものは簡単なのです。

人間の筋肉、関節、骨の動き、などなど、自分も持っているものですから、特別なことはありません。

呼吸法もそうです。生まれた時から休むことなく続けている呼吸です。難しい訳がありません。

気の流れや動きもそうです。もともと自分自身が持っているものです。

自分自身を見つけ、手の出し方、足の運び方、息の仕方など、一つひとつを顕彰することが大切です。 

そのためには、自分自身の知らないことを否定して、自分の知っている範囲で答えを出すのをやめてみましょう。

四次元空間はあるかも知れません。「ない」と答えを出すのは簡単なことです。

頭の中は自由です。妄想も自由です。妄想が現実かも知れません。 

最後は人間の頭です。 

見えない世界が合気道を通して見えて来るかも知れません。 

相手(人間)は倒れるものです。倒そうとすると無理が働きます。無力化すれば自然と倒れます。

人は立っていることが奇跡なのです。死んだ人間は立つことが出来ませんから。 

合気道の技を追求するばかりに、合気道の大切なことを忘れてしまいそうです。

合気道の極意、「武は愛なり。」「我即宇宙也。」です。 

技は多種多様です。今回紹介した技だけが技ではありません。

物の見方、考え方を柔らかくして、新しい答えを導き出して下さい。 


平成29年6月19日

木下良一
 

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